西洋占星術に飽きた
西洋占星術にのめり込んでいた時期があった。
趣味というか、個人的な頭の整理のために記事にもしていた。
三年くらいかな。
わたしは一度興味が湧くと徹底的に極めたくなるので、あの頃は「自分は学者なのか」と思うほどに、朝から晩まで、寝る間を惜しんで星を読んでいた。
ただ教科書のすべてにしっくりきていたわけではなかったので、占術とは抜きに、自然の在りかたというか、太陽から冥王星までの、実際の天体の力の性質を見ていた。(月の起源とか)
すべて独学で標準の読みと異なる場合が多く、そして、それらを人様に教えたい唱えたい意思もない。
個人的な興味の熱の延長で記事にしていた。
世界は広い。
中にはわたしに読んでほしいという人もいて、結構、読んだ。
けど、もう飽きてしまった。
インターネットで知り合った人から、「ホロスコープ読んでほしい」「教えてほしい」と言われる。
プライベートでも、わたしが西洋占星術に没頭していた時期に出会った人と久しぶりに会い、「ホロスコープ好きなんだよね、おもしろかったから読んでほしい」と言われる。
なんか自分でも笑っちゃうんだけど、もう飽きちゃったんだよ。
もう本当に、まったく興味も関心もなくなってしまった。
だからもう読みたくない。
飽きたのは西洋占星術に限らず、すべての占術に当てはまる。
ほぼ西洋占星術以外は知らないのだけれど。
西洋占星術に関してはジオに留まらず、ハーモニクス、ヘリオ、ドラゴニック、と掘っていた。
深く潜って潜って、そして個人的にたどり着いた答えが、「あ、わたし。何座でもあるし何座でもない」というところだった。
占星術だけではなく、わたしの場合、すべての事柄がそこに行き着く。
だから、これはわたし特有の道なのかもしれない。
自由だった。
わたしは太陽牡牛座だけれど、月蟹座だけれど、アセンダント乙女座だけれど、そうじゃない。
そうだけど、そうじゃない。
わたしはこれ、と決められたものから自由になった。
牡牛座である必要もないし、牡牛座でない必要もない。自由だ。
牡羊座だし、牡牛座だし、双子座だし、蟹座だし、獅子座だし、乙女座だし、天秤座だし、蠍座だし、射手座だし、山羊座だし、水瓶座だし、魚座なんだ。
必要な人にとっては、生涯特別なものになる。
どれだけ深く触れても、特別なまま。変わらない。
それは、すべてにおいてそう。物も人も出来事も、なんでも。
わたしにとっての星は、道の過程として必要だったけれど、特別ではなかった。
ただそれだけ。
ありがとう、ここまで運んでくれて。
という気持ちを込めて、星を天に返した。
また他の誰かを必要な場所まで導いてくれることを、祈りながら。
わたしにとっての星は、ロマンチックな気持ちにさせてくれるもの。
今はもう、それだけ。
0コメント