誠実に


誠実さ、なんて、少し堅苦しく感じるかもしれない。

けれど、その、'理性を保てるほどの信念' に、野蛮さというか、色気を感じてわたしは大好き。

「信念を貫きたい」この本能がそうさせていると思うと、余計に。


それに、わたしの世界では、誠実な人は意外とそう多くない。

単純に誠実さを持ち合わせていないか、誠実の仮面を被っているか、「自分は誠実ではない」という事実に直面する機会を与えられていないだけか、で、誠実な人は貴重なのだ。

誠実さをもっている者は、本当の意味で異常で、変態のようにさえ思う。


だからこそ、世の中すべての人に誠実さなんて求めない。

誠実でないなんて、ただただ普通のこと。別に、世界は変わらなくていい。


ただ、もしそういう変態に出会えたら、出会えるほどに成長できたんだな、と自分自身に嬉しく思う。




二十代前半の頃、付き合っていた男性と別れてから直ぐ、その彼と一悶着あった。

わたしの未熟な発言と行動から、これまで寄り添ってくれていた彼を傷つけてしまったことが原因かな、と思っている。

一年間という短い付き合いではあったけれど、今思い出しても、本当に大切にしてもらっていた。

ただ、当時のわたしは自分だけが大切で、彼に対して誠実であったかと言えば、なかった。

その後の彼とのトラブルは完全にわたしに非があってのことだと認めざるおえなかった。




家族、友人、恋人、仕事相手、道端ですれ違う他人、どんな関係性であってもどんな立場であっても、真に愛をもって誠実に向き合っていれば、必ず相手に伝わる。というよりも、伝わってしまうのだ。

本心とは、どんな形でも嫌でも伝わってしまうからこそ、たとえ縁が切れるような結末を迎えたとしても、今後の相手の人生の足枷や負担になる選択はしないのだと思う。

「これまで与えられた愛と誠実さに応えたい」

そう思うのが、わたしたち人間なのかもしれない。


彼とは、痛み/傷で繋がっていた関係だった。

けれど、教えてくれて、感じさせてくれて、役を引き受けてくれてありがとう、この気持ちしか、今はない。


この痛みを伴う経験は必要だった。

若くして体験できたわたしは、とても運がよかったと思う。




人との出会いと別れに、恐れや気後れを抱かなくなった。


長くいることだけが愛ではない。

近くいることだけが愛ではない。

目の前にいられる、手を取り合える、今この瞬間に全力の愛と誠実さを。


相手に向ける愛と誠実さは、自然に、自分にも与えられている。

そして、その愛と誠実さは、いつだってわたしの背中を押してくれる。

ときに、別れという旅立ちを潔く祝福してくれるのだ。

「いっぱい愛した」「いっぱい学んだ」「ありがとう」と。


愛と誠実さは、自分を、自分の人生を、信じる力を与えてくれる。

そして、自分を信じられるようになってはじめて、他人を心から信じられるようになっている。