なんだか申し訳ない思い出
朝から湯船に浸かっていたら、嫌な頭痛がした。
長く入りすぎたかなぁ、と思いつつも、湯船から出るにもだるさとめんどくささで、結局二時間くらい入っていた。
あがってからも、立ってられないほどに吐き気がしたり、目が開けてられないほどに頭が痛かったりで、少しでも楽になるために横になっていた。
気圧予報を見ると、警告気味である。
世の中、わたしのように気圧の変化に弱い人は大勢いるのに、どうして乗り越えられているのだろうか。気圧なんかを理由に寝たりしないのだろうか。
自分に甘いわたしなんかは痛みに耐えることもできずに鎮痛剤を飲むし、その上、しっかり寝る。
まるで実写版・のび太、まる子だ。
人一倍夢を見ながら、へたれで甘ったれで、自堕落な生活にこそ生きる喜びを感じる。
ただ、鎮痛剤の存在には感謝しつつも飲み過ぎは良くない気はしていて、漢方を取り入れてみたのだけれど、病的な眠気と頭痛で、また寝込んだ。
あまりにも露骨な症状で調べてみると、好転反応なるものらしい。
漢方を扱う医師によっては「好転反応なんかではない。合っていないだけだ」と論する人も複数いた。
個人的に好転反応という概念が大好きなので、そのまま飲んだ。
本当に五日もせずに、飲んで直ぐに出てきた露骨な眠気や頭痛などの症状はなくなった。
鎮痛剤の役目が不要になるかは分からないけれど、漢方はゆっくりじわじわ根本から改善していくらしいので、忘れた頃に良くなっていることを祈ろう。
漢方は飲み始めて間もない。
仕方なく飲んだ鎮痛剤も効き、重力に反して真っ直ぐいられるようになり、そして、目を開けられるようになった今、こうしてパソコンに向き合っている。
HPの管理や投稿はスマートフォンでできない仕組みになっているので、必ずPCでなければいけない。
さっきまで横になっていた時間、なんだか申し訳ない思い出がふと過った。
結構こびりついている記憶だ。罪悪感からだろうね。
少し文章にして昇華したい。
いつか丁寧に書き直したいところだけれど、今は取り急ぎ殴り書きで。
当時、水商売をしていた。
名古屋だかから地方へやってきた男性との話。車関係の仕事だったかな。
いい意味で昔くさいというか、彼より若い男性たちが彼を囲み、常に機嫌をとっている。
本人はハットを被り、邪気も計算もない笑顔が印象的だった。
店にぞろりと入ってくるや否や目が合い、「一目惚れをした」「この子がいい」と腰を抱えられ、席についた。
' いい意味で昔くさい' がよかったのだと思う。嫌味もいやらしさもなく、面白かった。
いい役職なのだろう。彼を取り巻く周りの男性たちの反応で察しがつく。
世界には色々な人がいて、色々な好みがある。物好きもいる。
彼にはわたしが刺さったようで、なにをしても可愛いと言い、なにをしても微笑まれた。
シャンパンだのワインだの、高いものを、と言われても、無理して飲みたくない気持ちの方が強く、通常の社会の場よりもはるかに高い時間給さえもらえればそれでよかったわたしは、彼が提案してくるものを飲み込むだけだった。
わたしが水商売を選んだ理由は、二、三時間しか労働へ出向きたくない、出向けない、というものだったからだ。お金のためというよりも、この肉体的な体質と精神的な気質上によるものである。そんなわたしが東京でしばらく働けたのも、奇跡的に労働の感覚が薄い職種に出会えたからだろう。
そして、わたしが労働を自覚する時間に精をなす唯一の目的は、いつも「引越し」のためだ。
浅はかに恋を楽しんでいる姿が見て取れ、こちらも楽だった。
彼の年齢的によるものなのかもしれない。年々、歳を重ねれば、五感だけで「恋をする」自体が貴重なのだ。
その出会いの場が飲み屋であるのは、浅はかさが第一条件である互いの理にかなっている。
大切にしなければならないものがなく、むしろ探し求めている者こそ、その浅はかさに足を取られることはあるだろうけれど、少なくとも彼にとってはその浅はかさがあっての幸福なのだ。
もちろん、大切にしなければならないものがなく、むしろ探し求めているわたしであっても、恋愛対象外である彼を前にすれば、その浅はかさは充分に都合がいい。
一方的に恋されていたとしても、押し付けたりもされなかった。
時間や身体を要求されることもない。連絡も、彼の独り言を受け取るだけ。
会話を楽しむというよりも、恋をしている自分を楽しんでいる。
わたしはただそれを静かに眺めているだけだった。
いつも名古屋から数人を抱え通ってきてくれていたのだけれど、わたしは水商売を辞め、引っ越しもした。
「会いに行きたい」という彼に、店以外では会いたくないな、と特に思わなかったのは、彼のこれまでのわたしに対する優しさ、そして彼自身の純粋さによるものが大きい。
引っ越し先の仙台まで来てくれることになり、なら、もてなそう、と思ったのだけれど、わたしはその前日からどうしてもイクラやウニが食べたくて、海鮮で頭がいっぱいだった。
行きたい店が、北海道の小料理屋。
名古屋からの客人をもてなす立場を忘れ、欲の香りにつられ、あっさり予約した。
わたしも初めて行く場所で馴染みの店でもない。行く際、場所も迷った。なんなら彼らに地図で案内してもらった。
そして、店の至る所から、北海道の圧がすごい。
それでもその日のわたしはただただイクラやウニが食べたい一心で、もはや彼らを思い遣る気持ちを北海道くらいまで飛ばしていたと思う。
その日の彼も、「そうか、そうか、美味しいか、よかったよかった、」なんて笑い、終始ご機嫌でいてくれた。
申し訳ない思い出というのはここまでの話も若干入れてもいいのだけれど、あまり申し訳ないとは思っていない。
その席に一緒についてきてくれた子も水商売をしていた。
誕生日の話になった。彼女は、当たり前に実際の誕生日とは違う日を答え、その光景を何度か見てきたわたしも横で、うんうん、小さく首を縦に振る。
そして、彼の取り巻きにわたしの誕生日を聞かれ、「えーと・・・・・五月十六日です」と答えた。
実際は八日なのだけれど、水商売を始めた当初から二倍にした日を設定していたのだ。
ただ、設定を思い出すために五秒くらいの時間を要したし、設定を思い出すために目線は斜め上にあった。
我ながら不自然極まりなかった。
その不自然さがさらに際立ったのが、その日がちょうど五月十六日だったことだ。
「あれ、今日か」
そんな今とってつけたかのような軽量な心の声が漏れ、場はさらになんともいえない空気になった。
彼らはわたしのこの一連の流れが、嘘なのか本当なのか、それともツッコミを入れて完成する冗談なのか、なにもかも分からず困惑している。
いや、冗談じゃない。それに、嘘じゃない。いや、本当に設定していた。でも、嘘だ。
答える誕生日は八日でよかったはずなのに、本物でも偽者でもどちらでもない自分の立ち位置で迷子になった。
騙そうとした悪意はなかったのだけれど、集りにかかろうしたと思われたかな。
実際に嘘は嘘なんだけれど、あまりにも洗練されていない粗い嘘で場を凍らせてしまった。
そんな気持ちを思い出しては、ふと恥ずかしくなったりする。
つくづく、こういった仕事は向いていない。
もし嘘をつくならば、たとえ真実がどうであれ、相手にとってはそうであると永遠に疑われないほどに相手を敬わなければならない。真実を差し出せない関係の時点で、これから生み出せるものなどたかが知れている。
粗さは相手に違和感を与える。もし真実であれば、抵抗したとしてもいずれ受け止め、時が来たら消化できるのだろうけれど、粗い嘘はそうはいかない。真実が塩のようなものだとしたら、嘘は溶けることの知らない、砂利のようなものだ。
他人の嘘など、日常から掻き消し、気にしないようにもできる。ただ、砂利のように静かに、けれどこびりつくようにずっと、不信感も残りつづける。
嘘をもってまでして付き合っていく覚悟は、相手に違和感を与えないほどに滑らかに濾過させる、それはある意味、自分を殺してまで、完全に他人を軸に生きていく覚悟でもあると思う。
それができないわたしは、相手が傷つくと分かっていても、相手の心が傷つく覚悟をもって、正直で在るしか道はない。
わたしは今もなお、彼にとっては美春ではなくミサであるように。
ミサが実体のない虚像でも、彼にとってはそれだけが真実で、そして幸せなのだろうから。
わたしが幸福として与えられる嘘は、ここまでだ。
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