他人との境界線
優しいと言われること、冷たいと言われること、どちらも同じくらいあるし、そして、どちらも同じくらい、自分でも自分に対して思ったりする。
優しい冷たい以前に、わたしは他人の感情に同化しやすい性質があって、昔から他者と自分の境界線がとても曖昧である自覚がある。
わたしを知ってくれている人なら分かると思うのだけれど、わたしの父と母は感情的で歪みあって暮らしていて、わたしが歳の離れた末っ子、そして唯一の女の子、と言うこともあって、よくその場を癒したり和ませるために戦場へ投下されていた。
怒り狂って大量の薬を飲み壊れる父、嘆き狂って死のうとする母。
度々起こる戦争のような光景は普通の喧嘩ではないことは理解していたけれど、数日経ったり、ひどい時には翌朝には何事もなかったかのように過ごしている。
むしろ毎晩一緒の部屋で寝て、毎日、朝から晩まで同じ場所で仕事をしている、そんな仲のいい二人を見ていて感情が追いつかず、素直に理解に苦しんでいた。
わたしが辛かったのは感情の極端さだ。
ある一定の感情の先に、いつも死が見えた。幼いながらも、それがとても恐かったし、嫌だった。
殺す、殺さない、死ぬ、死なない、人生を終わらせる、終わらせない、という極端な選択肢しかない感情表現だったのだ。
というのもあって、他人の感情にひどく敏感になっていた。
親以外の他人にもそうで、他人の怒りが恐かったし、他人の悲しみが恐かった。
他人の感情を揺さぶってしまうことで、わたし自身が傷つくことを恐れていたのだと思う。
そんなわたしの十代は、怒らせない、悲しませない、とにかく相手の感情に触れないよう、とことん自分を殺して生きることに徹していたのだけれど、元々自我の強いわたしには負荷がかかっていたようで、二十代になってからは、わたしが相手を壊す勢いで感情のままに生きた。それは衝動に近く、そう生きざるおえなかった、に近い。
寂しく飢えた心。満たされていない自分の感情のままに生き、他人をひどく怒らせ、他人をひどく悲しませた。
他人や自分の極端な感情に支配されつづけている人生に転機が訪れたのは二十代中頃だった。
深い付き合いをしていた男性からプロポーズを受け、断った。そして、断ることで死を感じさせるような反応があったのは、当時のわたしとしては驚くことでもない。
なぜなら、わたしがありのままに生きるということは相手の感情を揺さぶらせてしまうかもしれない、という思い込みが前提としてあったから。
十代では、相手の感情に触れ、強く揺さぶらせて死なれてしまうくらいなら自分自身の感情を押し殺す選択をとったけれど、二十代では、相手の感情に触れ、強く揺さぶられて死なれてしまうのなら仕方ない、相手の死を受け入れる選択をとり、実際に経験した。
死までいかなくても、わたしたちたちは、終わりとか、破滅とか、そういったネガティブな '終了' を意味するものが頭に過ぎると、どうしても '終了' だけは回避しようとわたしたちの脳は思考停止してしまう。
怒らせてしまった、悲しませてしまった、傷つけてしまった。
特に、自分の選択によって他人にそう感じさせてしまい、人生の'終了'を意味するような強い衝撃を受けてしまった人ほど、その後の人生にもこの思い込みは地続きとして影響してくる。
幼少期や思春期は、並行して生活力や精神力、すべてにおいて未熟で不安定な時期だ。
そんな繊細で多感な時期に、両親などの養育者の感情を強く揺さぶらせ、彼らに否定や制限をされてしまえば、無意識に、そして無条件に、「一人になる」「見捨てられる」「生活できなくなる」「生きていけなくなる」といった '終了'の恐怖を少なからず感じてしまう。
人生、個として生まれた意味がある。わたしはそう信じている。
ただ、感情の境界線が曖昧になりすぎてしまうと、本来の人生の目的、個として在るがままに生きる、個として幸せで在る、という第一目的よりも、他人の感情/他人の価値観を自分の人生の軸にする選択を平気でとるようになる。
怒らせないように、悲しませないように、傷つけないように。と。
むしろ、その選択以外の選択肢がないほど、無自覚の領域で起きている。
もちろん、人それぞれ幸せの概念は違う。
もし本人がそれで充分だ、これでいいのだと感じているのなら、それもまた有りであり、ある意味で一種の幸福なのだろうとも思う。
他人との境界線が薄いと自覚があるわたしに必要だったのは、わたしが嘘のない純粋なわたしで在りつづけるために出した選択によって他人がどういう感情を抱いたとしても、相手の感情は相手のもので、その感情から行動/発言する選択も相手のものであるのだと、大前提に知ること。
そして、その相手の自由意志を信頼することは、冷たさではなく、尊重という大きな愛だということ。
相手が選択できるすべて、感情、機嫌、行動、決断、人生、は、相手自身が選択者本人でなければ、価値が生まれない。わたしの管轄外、領域外だ。
と、精神的依存欲求(服従欲/支配欲)を手放し、降参する機会をわたしたちは必ず与えられている。
幼少期、思春期、成年期、恋人、友人、親子、家族、同僚、などの成長のタイミングによって。
はじめから、ずっと。気づくまで、ずっと。
他人の感情、他人の機嫌、他人の行動、他人の決断、他人の人生。
これまでこれらを自分次第でコントロールできると思いこんでいたけれど、ただ思いこんでいたと錯覚していただけで、本当はできない。していない。
服従欲。我慢したり、抑制したり、無理したり、自分が下手にでて犠牲になることで、はじめは丸くおさまるように感じても、本当の意味では相手をコントロールし切ることはできない。
支配欲。強要したり、制限したり、洗脳したり、自分が上手にでて搾取したところで、はじめは丸くおさまるように感じても、これもやはり、本当の意味で相手をコントロールし切ることはできない。
これらの互いに共通しているのは、他人との境界線が曖昧になり、自分の幸せを放棄している部分だ。
完全に自分の人生(幸せ)を他人に委ねており、他人に心の隙間を埋めてもらわなければいけない、と、常に恐れている。
そして、その手段が、下手に出るか、上手に出るか、だけの違いであり、実際は双方同じコンプレックスによって引き合っている。ようにわたしには見える。
服従側は、相手の機嫌がよければ自分の平穏も保てるので、自分の意思よりも他人にすべてを捧げてしまうだろうし、支配側は、相手が自分の思い通りに動こうとすれば自分の自信も保てるので、他人の意思よりも自分の欲望を満たしてもらおうとするだろう。
また、双方は同一であるため、精神的依存の代償でもある満たされない欠乏感や渇望感から、ある人には支配側でいるけれど、別のある人には服従側であったりする。
逆もまた然りで、精神的依存心を抱えている以上、どう転んだって、そのサイクルから抜け出すことはできないのだ。
だからこそ、わたしたちがまずはじめに学ぶことは、コントロールしようと他人や現実に意識を向けることではなく、自分の中にある夢や理想、そして、純粋な自分自身に意識を向けることなのかもしれない。
他人と深く繋がるのに、他人と深く愛し合うのに、服従や支配といった精神的依存欲求は本来必要ではないことに気づくときがやってくる。
精神的依存心との向き合いは、'自分で自分を愛する'、'自分で自分の人生を選び、決める' 、精神的自立心の芽生えであり、本当の道の始まりだ。
今、わたしが強く感じているのは、本来、他人とは、愛で深く結ばれ、自由で調和のとれた距離で存在が肯定される。ということ。
それは、物質的距離、精神的距離、どちらにしても言えることだと思う。
好意をもてない、興味をもてない、関心をもてない、これらの対象は、自由によって繋がることができるのだ。 「存在していてもいい」と心から肯定できるような、調和のとれた距離で。
たとえその距離が、人生で一度も会いも話しもしないだろうと確信、認識していたとしても、自由の元、わたしたちは繋がっている。
愛と自由もまた、限りなくゼロに近い基盤となる位置での背中合わせ、絶対的な同一だ。
肉体をもつわたしたちに、思っているほどの力はない。
ただ、肉体を越えた自我を手放したわたしたちの力は、肉体をもつわたしたち自我が思っている以上に大きいのだ。
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