血は関係ない


合わない人は合わない、見切りをつける。

どうしようもなく合わない人がいるのだな、と、最近痛感した。


誰かを嫌いになることが好きではないのだけれど、わたしが唯一、心底嫌いになれた相手が父親だ。

昔からそうだ。本当に、笑ってしまうほど理解できないし、理解されないし、受け入れられないし、受け入れてもらえなかった。

今でこそ、線引きをした上で、穏やかに会話できるくらいにまでに変化したのだけれど、家族という括り、血という括りに、絶対的な意味や意義を感じなくなった。


合わないと感じ、早々に離れて暮らした。

距離があればまだ、わたしの優しさが通常運転し、関わらないことで穏やかな気持ちでいれたのだけれど、側にいると、わたしの優しさが無碍に吸いとられ、奪われ、枯渇していく。

そうなると、優しさなんて与えてやるまい、なんて気持ちになり、わたしの心が蝕まれていく。


彼といるときの自分が大嫌いだった。

冷静でなくなり、卑屈になり、崩壊し、顔色を伺い、強い音や激しい機嫌に怯え、自信がなくなり、怒りで全身が震える。常に恐怖の中にいる。

彼は、わたしですら見たことのない邪悪なわたしを、いとも簡単に引き出す。

父以外の前でそんな姿になることは、まずない。

ただただ怒りに支配されるなんて、過去の恋人たちの前でも一度もなかった。


ただ、そんな、これまで見たことのない醜い自分自身を見れたおかげで、その醜い自分自身すら、「人間らしいじゃないか」と受容れられるほどの深い愛を自分自身に与えてあげられたのはよかった。

まぁそれにしても、魂が目的としていた、醜い自分すら愛する自分へと成長してしまえば、もう怒り狂う機会が少ないほう、むしろ、ないほうが、わたしにとっては自然であり、心地がいい。 




愛されている、と感じたことはなかった。

彼からはよくお金をかけてもらい、物や教育を与えてもらっていた。

動機はどうあれ、そのあたりは感謝している。元々学校や大人から学ぶことに興味や関心がなかったため、自ら好んで大学進学は選択しなかったものの、高校までの教育、最低限以上の衣食住、物質的には豊かに与えられた。

愛されている、と感じなかった理由として、豊かに与えられたとしても制限があったからだ。手放しに、無条件に与えられていたわけではなく、レンタルに近い。

十代の頃から、彼の機嫌を損なったり、同調や共感のない発言・言動をする度に、教育、衣食住にかかったお金を返せ、と没収されてしまう。

物心着いた頃、歳の離れた兄二人が父に川に捨てられたり、母が父に母の車や家の鍵を奪われ、途方に暮れていた光景を見ていたし、大人になっても、家族経営している父と兄のあいだで反抗した兄を解雇したりと、つい最近まで、ドロドロとした家族崩壊が起きていた。


大事なときに、健全で対等なコミュニケーションをとったこともなかった。

食事も各自それぞれの部屋にお盆で持っていき、とっていたので、わたしは居間で母と二人で食べていた。

父は朝起きて無条件に機嫌が悪い日が多かった。

そして、母のなんでもない声がけ(優しい)に、ただただ理不尽に怒鳴り狂う。声量がすごいので、それがまたおかしい。

昔は、そこにわたしが口出しをしたり、うるさい、なんて一言言えば、「生まれてこなければよかった」「お前は人間として価値がない」「無能だ」「会社を立ち上げて大金を稼げるようになってからモノを言え」など、町内中に響くような声量の怒鳴りで、顔を振るわせながら言う。たまに、勢いから首を絞められた。わたしも母も骨を折っている。


だから、コミュニケーションなんてとれるわけもない。

彼にとったら、コミュニケーション、個人の意思表示は、彼への反逆の意思であり、敵と見做され、潰される。

対等ではない。フェアではない。家族ではない。

彼自身が国の支配者であり、わたしたち家族は奴隷の一人なのだ。奴隷から意見を述べられれば、彼のプライドが傷つき、わたしたちは銃を向けられる。


最近、わたしはすっかり油断していた。

これまで長らく距離もあったし、わたし自身も成人してからの十数年、彼以外の場所では豊かで対等な愛のある人間関係しか築いていない。

対等な関係性が当たり前であり、意思を尊重し合うような人たちと交流しているため、その心持ちのまま、彼に「怒らなくても、伝わる言い方があるよ」と言った。

もちろん、いつも人に話すようなトーン、穏やかに。


そうすると、彼の般若のような顔は一瞬でわたしへ向けられた。

「お前、いい加減にしろよ」と目の前にやってきては、「お前にどれだけのお金がかかったと思ってる」「これまでお前を育てるためにかけたお金、返せ」「今すぐ自殺するか、今すぐ1000万円を用意するか、どちらかにしろ。そうでないと許さない」と、ものすごい声量で怒鳴られた。驚いた。たった一言だけで。

基本的に、言葉としてはもっと汚い。彼の時代や田舎特有というか、チンピラ育ちということもあるのかもしれないけれど、大抵すべての言葉の前に「この野郎、ふざけんじゃねえぞ」が入る。


内容はどうあれ、わたしはこの「ものすごい声量の怒鳴り声」が受け付けない。

内容に関してはいつもひどすぎて、わたしにとっても家族にとっても、もうフィクションなのだ。本当は存在していない不確かなもの。フィクションとして捉えなければ、わたしたち家族、子供たちは皆、成人する前に死んでいるだろう。




これまでは、家族なのだから愛さなければいけない、と思っていたのだけれど、最近になり、「家族であっても、合わない人は合わないのだな」「愛に、血は全く関係ないのだな」と理解した。


わたしの自我、わたしの表面は、彼を愛していない。

そして、彼にも愛されていないことへの悲しみは微塵も感じない。

むしろ、彼に愛されていないことに悲しみを感じていない自分自身に、ひどくホッとしたのだ。


本当に、血以外の繋がりはないのだ、と。

そして、血は愛の印ではないのだ、と。


年配の人や、家庭、主に子どもをもつ親の立場である人たちに父の話をすると、「親が子どもを愛していないわけない」「不器用なだけ」「あなたも子供をもったら分かるよ」と言われてきた。

そう伝えてくれる人たちは、自身の家庭内で色々あるにしても、本当に家族や子どもを愛しているのだと思うし、そして、わたしに対しても勇気づけようとしてくれている。

悪気があって伝えてきてくれているわけではないし、言いたいことは分かる。

実際、長年、わたしの理想とする愛でなかったとしても、彼からの愛を意識的に汲み取ろうとしてきた立場である。


ただ、やはりそれは一般家庭の話なのだ。例外はある。あったのだ。


子どもを愛せない親もいる。

愛の繋がりのない親子もいる。


絶望のように感じるけれど、こういった結論に安心し、救われる子どもはどれだけいるだろうか。

少なくとも、わたしは自分のこの結論に安心し、心の底から救われた。


わたしはこの人を愛さなくてもいいし、この人に愛されなくてもいいんだ。

人生で唯一の明瞭な執着がとれ、呪縛から解放された気がした。

人生に漠然とした違和感があったのは、無意識の「血」への執着だったのだろう。



愛されていないことにも、そして、愛していないことには気づいていた。


なぜなら、わたしは、自分自身が心から愛している、と感じている人から愛されなかったことが一度もないからだ。

わたしの愛する大切な人間関係の雛形に、彼との関係性は影響していないのだ。


恋人でも、友人でも、愛している人とは、必ず愛し合えたし、分かり合えたし、理解し合えた。

「愛している」という相手への愛や、相手からの愛に、不信感を抱いたことなど最初から最後までなかった。

人生で唯一、父だけだったのだ。


潜在的に、血の繋がりのある家族とは愛で繋がっている、と思い込んでいた部分は大きい。

だからこそ、愛を感じられないことに、「どうして?」「なぜ?」「おかしい」と、わたしの中で意地になり、執着していたのかもしれない。


わたしは、自分を、父を、自由にすることにした。

その自由への選択は、限りなく愛からきていることは知っている。

表面的な自我は愛していなくても、愛されていなくても、大いなるわたしたちは愛である。

だからこそ、愛してる、愛されてる、といった制限もない、愛そのものだから。


「愛していない」

そう認めることすら、愛の一部にあるのだ。


わたしの時間も、わたしの声も、わたしの価値観も、わたしの感情も、わたしの優しさも、わたしの全てを、少しでも与えたくない。

いくら、それらに価値を見出す力のない存在に差し出しても、何も生まれない。消耗するだけだった。



ずっとどこかで、わたしが悪いと思っていた。

生まれながらにして混沌としていた環境状況に、わたしが彼に対する見方を変える、つまり、わたしが変わればいいと思っていた。

わたしの中の強い思い込みがそうさせている、と考えたこともあった。

もちろん、その概念がまかり通ることもある。

人生は自分次第である、それは真実だ。


けれど、父親との関係性については、わたしはなにも間違ってなどいなかった。

本来、最初から、生まれてから、わたしはなにも変わる必要などなかった。

わたしはただ、完璧に、あるがままに存在していただけである。

変わる必要なんてなかった。

間違ってなどいなかった。


彼は、自分自身を愛することを放棄していた。

他人に愛してもらうこと、認めてもらうことに、全身全霊をかけている。

これは、わたしの問題ではなく彼の問題だ。

彼は自分以外の他人に愛してもらいたい、認めてもらいたい、満たしてもらいたい、その渇望するほどの飢えた心を暴走させている。

わたしは、この事実をあるがままに認めることを避けていた。

どこかで、そうであると認めるということは、わたしの命の理由の根源を否定するような気がしたからである。

それほど、「わたしはわたし」「父は父」といった健康的な線引きができていなかったのかもしれない。


けれど、今はもう違う。

自分自身が精神的に未熟なまま子どもを産む、という決断をとったのは彼自身だ。

子どもは、寝ていて勝手に、生活していて勝手に、なんてできない。

セックスするしないも、避妊をするしないも、己の意図の先にある。

未熟さ故に、学びがたくさんあることは目に見えている。

人を育てるとは、躾けするのではなく、子どもを通して自分自身を育てていく面もあるのではないだろうか。

未熟だからといって、幼少期に満たされなかったからといって、それを理由に、満たされない子どものように振る舞い、人を傷つけていい理由にはならない。

家族関係を解消することよりも、自分自身を成長させる学びを手放すことのほうが、真の放棄にわたしには感じる。

生まれてから、この彼の課題を背負おうと必死になっていたけれど、彼の課題は彼のものであり、わたしのものではない、と、本来抱えるべきものではない不要な責任をおろしたのだ。


家族以外であればいつものように冷静に判断できたものが、家族、血、という囚われによって、ありのままをそのまま直視すること自体が彼を否定している気がしてしまっていた。

そして、少しでも光を見出そうと事実を歪めるような形となり、適切な判断ができていなかったのだと思う。


わたしは、自由という愛の距離をとる。

血は、家族は、愛の証明にはならない。

愛していないのに、無理に愛さなければいけない関係なんて、何一つない。

その選択すら、形を変えた愛なのだ。

愛という分かりやすい言葉を纏っていないだけの愛なのだ。


本来、わたしたちは、'すべて' は一体となっていて、一つとして繋がっている。

だからと言って、表面的な形状、たとえば家族だから、恋人だから、夫婦だから愛し合える、わけではない。

この次元においては、愛に基づく関係性のすべては、「愛し合いたい」という自発的な意思と意識が必要になる。

なんの意識もなくとも愛が生まれる、なんて幻想なのだ。

すべてにおいて、意思、意識、あってこその'すべて'なのだ。

意思も意識もなければ、すべてがない、に変わってしまうほどの力が、それらにはある。



わたしたちは愛の意思、愛の意識をもって、はじめて家族になる。

わたしたちは愛の意思、愛の意識をもって、はじめて恋人になる。

わたしたちは愛の意思、愛の意識をもって、はじめて夫婦になる。



もちろん、家族や血の繋がりをもって愛を感じる人だっている。むしろ、感じる人は多いかもしれない。その場合、家族や血の繋がりだからこそ愛を感じているというよりも、それを越えた個人と個人の繋がりがあり、そこへ愛を感じているのだ。


たとえ血が繋がっていてもいなくても、どこの国の血が流れていてもいなくても、本来、深い繋がりも深い意味もない。

シンプルに、血は、血だ。愛は、愛だ。

血に、愛の証明や存在の優劣の証明の役割はないのだ。

人間、皆な平等に、血は赤い。存在、皆な平等に、意識がある。

それだけだ。


わたしは、また自由になった。

わたしの世界は、さらに広がるだろう。