すべては幻想


この世界には、何億もの人間や動物たちがいる。

ただ、それは'いるように見える'に過ぎない。


すべては幻想で、すべては蜃気楼で、すべては陽炎で。

今こうして、わたしたちが見て、触って、聴いて、香って、味わって、感じているものすべては、限りなく本物に近い、実体のない夢なのだ。地球上にいるわたしたちは今、「自分」という壮大な夢を生きている。


たった一つの世界・地球を、何億もの命がシェアしているように見えるが、実際は違う。


命の数だけ、何億もの世界・地球がある。

命の数だけ、唯一無二の世界・地球がある。


「わたしたちは今、夢のなかを生きている」と言ったのだけれど、その夢とは、わたしたちが感じている自分自身であり、自分の意識だ。

この世界・現実は、わたしたち個人の「意識のなか」のドキュメンタリーに過ぎない。


あなたにも意識があるだろう。

そして、わたしたち一人一人に意識があるだろう。


今、わたしたちは、「自分自身の意識」という世界・地球を、「肉体」という幻想をもって体感している。

今、わたしたちは、唯一無二の世界・地球を、それぞれ生きている。


同時に、無限の世界・地球が存在している。

そして、わたしたちは、意識という形で、すべてを共有し合っている。


現実・物質と思えるすべてのものは、自分自身の意識の反映。


すべては、幻想。

すべては、蜃気楼。

すべては、陽炎。


常に揺れている、うつろいやすい、これらの「現実」には、力(パワー)は全くない。次元が違う、まったくの別物なのだ。

過去に起きたすべての現実は、わたしたちの内なる意識が、あらゆる姿に形を変えて、具現化されたもの。


確かな理由として、あなたが意識するものが変われば、現実もまた、姿形を変えるだろう。


昨日まで存在していた花瓶が割れたり、今まで優しかったあの人が冷たい人になったり、長年住んでいた家から引っ越すことになったり、と、この世のすべては、自分自身も含め、うつろいやすく、変わらないままではいられない。


毎瞬毎瞬、姿形を変えながら、内なる意識を表現してくれている現実は、実体のない、とてもリアルな煙なのだ。



常に揺れている、うつろいやすい、これらの「現実」には、力(パワー)は全くない。

本当は、あなたという意識そのものに力(パワー)がある。


だからこそ、「現実をどうにかしたい」というなら、ただただ現実を追いかけても、ただただ現実に執着しても、ただただ現実に囚われても、ただただ現実に思い悩んでも、どうにもできない。


なぜなら、現実には、なにも力(パワー)がないから。


わたしたちは、いつだって無条件に絶対的な安心に触れることができる。

Reality is merely an illusion,

albeit a very persistent one.

現実は単なる幻想だが、

とてもしつこい幻想だ。

(Albert Einstein)