大丈夫じゃない


最近、自分が人間であることを自覚している。


神秘的だとか超越しているだとか、そういう意味ではまったくない。

だから、'わたしは昔から自分が人間である気がしていなくて' というと語弊はあるかもしれないのだけれど、辛いとか、苦しいとか、寂しいとか、恐いとか、思わぬ状況に対して負の感情はもちろん生まれはしても、早くて一日、長引いても一ヶ月も経たずに昇華できた。

まず乗り越えられないことはなかったなぁ、と思う。

乗り越えるまでのそのあいだも、基本的に溢れる感情を他人に伝えたとしても、相手は理解できないだろうな、とか、わたしも満たされないだろうな、とか、そういった思考が瞬間的に過って、誰かに頼るだとか伝えるだとかするような選択肢はなくて、ただの一人で昇華して、乗り越えてこられた。

だからといって世界に対して絶望していたわけでもなく、純粋に乗り越えられたから乗り越えてきた、感覚に近い。


けれど最近、ここ数ヶ月、昨年の秋口あたりから一貫した新しい意識が注がれている。


これまで、精神的に落ちても落ちても、大丈夫だった。

多分、これは本当にわたしは強いのだと思う。実際、強いほうなのだと思う。


けれど、大丈夫じゃないかもしれない、と初めて思った日が、夜が、あった。

これまで感じたことのない不安が押し寄せてきて、過呼吸でもないのに急に呼吸ができなくなり、心臓の鼓動が速くなった。

東北はまだ寒い、深夜、雨が降っていた。部屋の中の酸素じゃ足りない気がして、部屋中の窓を開け、人々は眠り、まだ誰も使っていない、街中の新鮮な酸素を身体に取り入れようとした。

それでも身体に入っていく気がしなくて、恐怖と焦燥で圧迫されている気だけが残る。

「大丈夫、大丈夫、」いつものように唱えても、身体には酸素は十分に足りているはずなのに、心には酸素が足りていない感覚に、どうすることもできなかった。


「一人じゃ生きていけない」「わたしは弱い」「大丈夫じゃない」「恐い」

これまで感じたことのない意識に一瞬は反射的に抵抗しようとしたけれど、これはそのまま流れに身を任せたほうがいいと判断して、苦しみと恐れの沼に身を委ねた、深夜二時。


数日も経たずに、母に自分の状態を伝えた。

普段なら伝えなくてもいい、伝えることでもない、誰にも、そう思っていた。実際、伝えることもなかった。

ただ、秋口からの、新しい螺旋階段への扉に手をかけた自分自身を知っているからこそ、伝えなければならないと思った。

世間的に見れば、甘える、頼る、などは自立とはかけ離れている気はするけれど、わたしにとっては成長するための挑戦の類にあり、そして自立に繋がる。

静かなる場所では知っている。知っているだけでは意味はない。行動で昇華しなければ。


母からしたら初めてだったようで驚いていた。

そして、「親が子に愛されていた」「許されていた」、「頼りすぎていた」「甘えすぎていた」「でも美春は大丈夫だと思っていた」、そう母は言っていたような気がする。


生まれた環境が、素直に甘えたり、頼ったり、心を開ける場所ではなかったからこそ、現実を生きていくためには精神的に誰にも甘えず、頼らず、心を開かず、一人で生きていく覚悟を決めなければならなかったし、恐くても恐いから逃げれるものではない、逃げてはいけない、受け止めなければいけなかったし、たとえ弱くても強く在らなければならなかった。

生きていくには、その選択肢しかなかった。

場面や状況は違えど、戦時中もまた違った意味で、「(理想と反して)生きていくためにはそう在らなければいけない」そういった意識だったのだろうと重ねて思う。


それからはわたし自身がわたしの親となり、わたし自身を愛し、そして満たされるようにまでなったのだけれど、この世界はどうも他人と共存し、愛を共同創造していく星らしい。

「他人と生きる」

わたし一人、精神的に閉じこもったまま生きていく分には何の問題はなかったのだけれど、昨年秋あたりから、いよいよその時期がやってきた、その知らせを受け取っている。

動物たち以外の他人と深く心を寄せ合い、手を取り合う。

わたしにとっては未知の世界であり、とても恐いことだ。


日頃、わたしは些細なことで泣く。

感情が豊かといえば聞こえはいいけれど、他人と関わると感情が無限に揺さぶられ、嬉しい、悲しい、楽しい、寂しい、いろんな感情が毎秒、コロコロを変わる。

幼少期、わたしの過敏な感情が鬱陶しがられていたのもあって、「感情とは押し殺さなければならない」といった思い込みから、処世術として感情を表に出さない術を身につけた。

他人からの印象が、なぜか「クール」なのは、そのせい、そのおかげ、だと思う。

本来のわたしは「クール」とはかけ離れた人間であり、感情は変わりやすく、そして表現も激しい。


とはいえ、感情を簡単に表に出さない自分も自分だと理解している。

彼女とも長く付き合ってきた。


ただ一つ言えることは、感情を素直に表現できる相手はわたしにとって貴重であり、居場所になるほどの差はある。

誰に対してもありのままで、ありのままを開く、という在りかたに魅力を感じない。

いろんな顔、いろんな自分があって、あえて「この人にだけは」そんな邪気のない依怙贔屓に美しさを感じる。

不平等さに美しさを見出せるのは、このあたりくらいだと思う。




大丈夫。って、わたし、すごく好きな言葉。

大丈夫、って言葉に支えられてきた。

これからもずっと大切な言葉。


けど、大丈夫じゃない、他人に言えるようになりたい。

そして、大切な人に言わせてあげられる器を養いたい。


そして、本当の大丈夫、を感じたい。


弱くてもいいんだ。

喜怒哀楽を見せてもいいんだ。

全部、背負わなくていいんだ。

他人の世界観を生きなくていいんだ。


わたしにとっては自然ではない、間違って教わった世界観(相手にとっては正解だったのかもしれないけれど)を手放し、自分の世界観を軸に生きていく。


他人の問題、他人の世界観を、静かに本人に返す。戻す。


わたしらしく生きるにはまず、無意識のうちに「もっているべきだ」と自分と一体化までしていた責任、必要過分にもっていた、自分のものではない荷物をおろす勇気をもつことが大切なのかもしれない。

意識が身軽になることで、肉体もまた身軽になれる。


人間が生身のまま空を飛べる日もそう遠くはない気がしている。