縦社会でも横社会でもない、点社会
「縦社会が終わり、横社会が始まっている」という言葉を聞いた。
わたしは縦社会は好きではないし、同様に、横社会も好きではない。
縦社会とは、上下関係のような権威や階位、それらを軸にした社会であり、横社会とは、左右関係のような家族や界隈、血や情けなど、それらを軸にした社会である。そんな認識がわたしの中にある。
縦社会も横社会も必要な人にとっては必要なのだろうし、その人たちが価値を感じ、生きやすさに繋がるような居場所であるのであれば、否定する権利はわたしにはない。否定する権利はないけれど、問いかけ、疑問をもつ権利はある。
すべてではないにしても、一部の宗教団体は縦社会と横社会の両面の要素から成り立っているように思う。
ある一人の存在を神として祀る、縦社会。一人の存在に準ずる者たちへと派生し、精神の成熟度から上下関係を生み、立場や役職が与えられる。また、役職のもたない信者同士が連なり、群れをつくる、横社会。
繰り返しにはなるけれど、縦社会も横社会も必要な人にとっては必要なのだろうし、その人たちが価値を感じ、生きやすさに繋がるような居場所であるのであれば、否定する権利はわたしにはない。ただ、問いかけ、疑問をもつ権利はある。
家族も、小さな社会を表している。
そして、それぞれの家族によってその社会の類や質は異なる。
過去のわたしの家族環境を例にすると、わたしの家族の類は縦社会でもあり、そして、横社会でもあった。
「親だから」「子供だから」「夫婦だから」「経験しているから」「お金を払っているから」「家の持ち主だから」という縦社会と、「家族だから」「血が繋がっているから」という横社会。
もちろん、それらには悪い面だけでなく良い面もある。たとえば、自分の子どもだから生活費を払ってもらえたり、自分の子どもだから教育を受けさせてもらえたり、血が繋がっている情けから、他所の人間であれば受け付けられず、距離をおきたくなるほどの性質をもっていたとしても家族として関係を続けたり。
利点も理解した上で、わたしにとって縦社会も横社会も、少しの重たさを感じ、不自由であった。
冒頭で話したとおり、わたし個人に限っては、縦社会も横社会も性に合わない。
単純に、直線で繋がるような社会が好きではないのだと思う。
なにかに属するとは、目には見えない壁や柵で自分自身を囲うこと。そういった壁や柵、縦でも横でも、直線に '継続性'といった縛りを感じてしまうからかもしれない。
様々な土地に住んでみて思ったのは、特定の地域、人、環境、に強い愛着を持てないこと。それは元々の母国や故郷、通った母校などに対してもそうであり、「地元万歳!」「活性化させたい!」という情熱を抱けず、良くも悪くも、すべてが皆な平等に素晴らしいと感じる。
わたしが好む社会は、縦社会でも横社会でもない、点社会。
個人個人が点として存在し、瞬間瞬間の縁、円(◯、丸)で繋がる。
「無条件」という純粋な衝動によって重なり合い、縁を全うするのだ。
立場や情けは必要ないため、形式的に所属しつづけたり、繋がりつづけないといけない義務や責任はない。たとえ、所属の形をとったとしても、退いたり、去ったり、離れたりする際には、縦社会や横社会特有の裏切りに似た申し訳なさ、抜けたくて抜けられないもどかしさ、気まずさ、そんな重みは一切ないのだ。
瞬間の縁を全うした点は、それぞれが次なる点へと移動していく。わたしたちという点は常に移動していて、移動という変化をしつづけることこそ自然な状態といえるのかもしれない。だからこそ、退いたり、去ったり、離れるとしても、それもまた自然な状態であるため、これまで点の円(◯)の中にいれたこの縁に、軽やかに感謝するだけでいい。
通勤でも旅行でもなんでもいい、電車の車両をイメージしてほしい。目的地へ向かうために駆け込んで乗った車両から乗り換えるとき、あなたはこれまで乗っていた車両に裏切りに似た申し訳なさや気まずさを感じるだろうか。きっと感じないだろうし、わりと淡白に乗り降りするのではないだろうか。わたしたちが点として移動するということは、一時、車両の空間を共有してはまた別の車両へと移動していくことと同じくらい、軽やかでいい。
もし、奇跡的にお隣の人と会話で花が咲き、惹かれるなにかがあったなら、あなたが目指す目的地へ向かう途中の乗り継いだどこかの車両でまた出会うかもしれない。そして、偶然という必然が連続して、一生涯、同じ車両に乗り換えつづけるかもしれない。それは、命の終わりというものがあるのなら、その終わりがくるまでは分からないことであるため、執着しなくていいのかもしれない。わたしたちはただ、自分にとっての真実の車両へと乗り換え、移動していくだけだ。
集団のように見える家族や組織といっても、それぞれ社会の類や質は異なるように、個人と個人を尊重し合い、無条件の愛・自由が土台となった、独立した点の円で繋がっている人たちもいるからこそ、一概に「家族主義反対」「組織主義反対」などを唱える意志はない。
精神的に独立した個人同士が尊重し合い、縁、円で重なり合う、点社会。
この点の中にある空間は、従来の家族(血)や組織(契約や情)といった、馴染んでは沈むような重みが一切ない、極めて軽やかである。
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