切り取られた一カ月


上京したての十八歳の頃だった。わたしは社会にとけ込めず、日本から離れた遠いどこかへ逃げたかった。

都内のサロンに勤めたのだけれど、給料はそう高くもない。一人暮らしの家賃、光熱費、食費、すぐに手元のお金は消える。それに、やりくりしたり貯金なんてできる出来た性格でもないため、留学しようにもまずお金がない。わたしは掛け持ちでアルバイトを始めることにした。


春に誕生日を迎え、晴れて十九歳となったわたしは、はじめて水商売へ足を踏みいれる。池袋にある小さなガールズバーだ。

ある日、中年の小金持ちそうな男性が淑女を連れて訪れた。彼はその次の日も酒を飲みにきた。昨日と同じように接客したのだけれど、隣には昨日とは別の女性がいて、当時のわたしは、目に見えた事実のまま、「今日は違う女性なんですね」そう言った。嫌味も悪気もない。本当にそうだったし、そう思ったから、そう言ってしまった。

店長や男性、隣にいた女性も笑っていて、おもしろい状況なのかと思って、わたしも一緒にカラカラと笑った。空気を読むとする努力として、楽しくなかったとしても共に笑うスキルを身につけた。

また別の日、あの男性が一人でやってきた。もういてもたってもいられなかったのか直ぐにわたしを見つけ、ボーイに案内もされないままわたしの目の前にドスンと座り、吠えた。

「君ねぇ!お客さまが女と一緒に来たとき、別の女と来た、なんて話をしたらダメじゃないか!」

目の前で怒られたのであった。

うんうん。そうそう、そう、そうだ。そうなのだ。もちろん今となったら分かる。ただ、一般常識やルールのダウンロードが済んでおらず、苦手な分野であったのと、一途な純愛に憧れていた乙女(自称)には、そもそもの「どうしていろんな女性たちと、女性が接客するお店に、隠れてまでいっているんだろう」という根本の部分への理解が追いつかず、男が帰ったあと、裏で泣いた。そして一ヶ月後、辞めた。



次の副業アルバイトは登録制の仕事。渋谷だった気がする。高級住宅街あたりなのか、入りくんだところだったのか、とても閑静な場所だった。

リラクゼーションサロン。構えも立派で、玄関先のブロックには緑が植えられた不思議な形をした鉄筋コンクリート調の三階建て。建物すべてがサロンだった。

わたしは建築やデザインにも興味があったため、正直スタイリッシュな外観だけで選んだのだけれど、のちにわたし含めた三人のアルバイトでサロンを訴えることになる。


同期は、'れいかちゃん'という三五歳くらいの女性と、'なおこちゃん'という三十歳くらいの女性。

れいかちゃんのことは、二人で「イカちゃん」と呼んでいた。黒縁メガネをかけ、どこか満島ひかり味を感じる綺麗な女性。とても早口で、野原しんのすけのような独特な喋りかたをする。竹を割ったような性格で、江戸っ子の風を感じた。

なおちゃんは、ヨーロッパ系の外国人男性と同棲していて、その彼の話をする際、いつも「ダーリン」と呼んでいた。茶髪の巻き髪、異国のお姫様のようで、動きも話しもおっとりしていた。スイートな見た目とは裏腹に、両手を叩きながら豪快に笑い、「クソ」だとか「死ね」だとか、こちらが予想もしていなかった言葉が次々と出てくる、そんななおちゃんのことも好きだった。


不思議なのだけれど、それ以外の登場人物の記憶は一切なく、三階建てのサロンではわたしたち三人以外、見ることはなかった。最初から最後まで。

真夏だったのだ。鉄筋コンクリートは情緒的な温もりを無視する。そんなコンクリート建築に魅力を感じるのは、情が映えるから。いつもそう思う。生かされてるものの生々しい躍動を直接的に感じることができる。

鉄とコンクリートで遮断された窓から観る木々の緑は、どこか寂しそうに見えた。いや、わたしたちが冷たい四角い箱に閉じ込められていたのか。木々の緑は、あの日、わたしたちになんと言っていたのだろうか。今こうして思い出しても、ふわふわと麻酔がきいているような不思議な気持ちになる。

研修といっても、一階のロビーに教材が置かれているだけで教える人はいなかったため、三人で練習をしていた。それでも経験豊富で個性的なお姉さんと一緒にいられるだけで、十九歳の原動力・好奇心という欲求は既に満ち満ちていた。


一ヶ月が経とうとした頃、わたしたちアルバイトはサロン側から多額の研修費用を請求された。この会社のやり口だったようだ。

わたし一人であれば訳も分からず払っていたかもしれない。けれど両隣には主張の強いお姉さんたちがいる。彼女らは異議を唱え、訴える運びとなった。


まぁ、結果的に払わずに済んだ。

「負けない!」「闘うぞ!」三人で太陽に向かって拳を掲げたあの日から、どんな流れで始まり、どんな流れで終わったのか、本当になにも覚えていない。

わたし自身、本当はサロンに対して恨みも怒りもなかった。ただただ大好きな二人と、もっといたかった。当時のわたしに強いこだわりや意思なんてない。お金なんてどうでもよかった。どんな形でもいい。どんな結びつきでもいい。二人との別れを、少しでも先延ばししたかった。本当に、本当に、ただそれだけだった。彼女たちの怒りに溶け合い、鼻息を荒くするふり、怒っているふりをしていた。


当時を思うとあの一ヶ月はすべてが夢のように思える。このことだけではなく、過去に体験した、'刺激を感じたすべて' に言えることではあるのだけれど、わたしにとって過去のほとんどが、記憶のなかで今でも陽炎のように揺れている。実際に体験したはずなのに、あれはすべて幻だったような。すべて嘘だったような。過去と認識していいのかすら自信がない。

わたしは記憶力が強いほうだと思う。ただ、記憶しているというよりも、すべての日常が一瞬のコマのように映像として残っていて、それらが規則的に脳に積み重なっていく感覚がある。取り出そうと思えば、たとえ何年前のものでも映像やコマごと、わりと鮮明に再生することができる。

記憶する動作に、心身へけっこうな負担がかかっているのも知っていた。だから、かは知らない。ただ、自分にとって覚える必要のない出来事の場合、記憶に残さないように、なんて意図しているかのように、サロンとの金銭的な数字が絡みはじめたあたりの記憶から見事に消えている。

閑静な渋谷に佇む、コンクリート調の三階建てのだだっ広い部屋で、変なお姉さんたちと優雅で刺激的な時間を吸収した。この幸せだった思い出だけが、都合よく記憶に刻まれている。わたし自身が、無意識に記憶を削除したのだろうか。

(友人や知人のあいだでは、わりと「忘れた」「覚えていない」と簡単に言うので、忘れっぽい人間として認定されている。そうだと思う。間違ってはいない。実際に、もう表層意識では忘れているのだ。実像や実体は、ないのだ。深層意識にアクセスしようとさえしなければ。PC上の、’ゴミ箱’に入れるあの感覚なのだろう。ゴミ箱の中身は、取り戻そうと思えば取り戻せるように。完全なる削除、をしない限り。)


あの独特な存在感をはなつ建物と二人の個性的なお姉さんを背にすれば、いつもなら鬱陶しく感じる飛び交う車のクラクションの音だって、いつもなら虚無に感じる街中のビルに溶け込めるほどの小さな路上スーパーだって、だからこそ上品で都会的にさえ思えた、それほど、あの切り取られた「十九歳の一ヶ月」は魅力的だった。