くらげ


過去の中にある共通点から、わたしという人物像が見えた。

行きたいと思った先が東南アジアの数カ国、ヨーロッパの数カ国くらいしかないのだけれど、時期を変えて行っていた。

わたしは計画していない。した覚えがない。

していないのに行けるはずがないと振り返りつつも、本当に覚えていないし、そこまでの計画もしていないのだと思う。

わたしは一度、スイスへ行き、山を登ったことがある。

ベルギーからスイスまで、飛行機に乗った。

その間、どうやって行ったか、まるで覚えていない。


今、思い出したのは、東京である人と出会い、翌週、台湾へ行ったこともあった。

基本的に放浪は一人ではあったが、たまに誰かと行くこともあった。

自分一人でも計画は立てないし、誰かと行くのなら尚更計画など立てない。

その台湾ではもちろん何の危険もなく、純粋にその瞬間の旅行を楽しみ、帰国してからも深い関わりはないながらも、半年に一回の頻度で食事をしたりしていた。


こんなクラゲみたいな生きかたが性に合っている。

昔から、何事も力むとうまくいかない。なんかもう脱力してたほうがいい。

計画とか目標とか目的とか、わたしの中にダウンロードされていないのだと思う。

目標を定めて走る人たちを見ると、自分とは真逆すぎて嫉妬すら起こらない。

宇宙人を見ているような気持ちになるけれど、彼らにとってわたしも宇宙人に見えているよう。

わたしは走ってはいけない。浮いていて、気づいたらなんか良い場所にいた、が多い。

行きたい(?)場所も、行こうと企てると気が沈む。

気づいたら、あれよあれよと居る、行っていた、今思うとなんかすごい楽しかった、が、わたしのベスト。


わたしの人間関係は、半年に一度、または一年に一度、または数年は一度、会う人間関係で構築されている気がする。

頻繁に会ったり連絡を取り合う人なんて家族や最愛の人だけで、尊敬し合える友人であっても数年に一度会えたらいい。

ご縁も、どうにかしようとしない。

海という神におまかせ。わたしはクラゲでいるだけで、必要な人に出会わせてくれる。

感動する縁は、いつも曲がり角から突然やってくる。

求めてなんてない。

あれよあれよと出会い、なんか居る。と後から気づく。