ゼンブマン
ここ数年、わたしの性格に対し「クール」と表現される機会が増えたように思う。
二十代まではむしろその逆で、感情を表に出し過ぎていた。
泣いて、怒って、笑って、そして、すぐ切り替えて、の繰り返し。
ただ、昔から性格は固定されたものはないと思っている。
わたしの言葉で言うと、ゼンブマン。
わたしの中には、全部の人格がある。という意味。
情熱的だし、冷静。
理想主義だし、現実主義。
真面目だし、不真面目。
優しいし、厳しい。
大人だし、子ども。
人によって、人格を無限に変えている自覚がある。
だから、ここまでくると「どの自分が本当の自分なのか」と悩むというよりも、どの自分も自分であることには変わりはない。見苦しさも含め、愛すべき自分。
その上で、「どの人格の自分が心地よいか」で人格を選ぶ。
あるとき、ネガティブ、陰、な自分を極端に避けていたことにも気づいた。
ゼンブマンなのだから、内に居るはずなのにないものとして見たり、自分の中でその要素を感じると否定したりして変わろうとまでしていた時期があった。
それで、数年間、「堂々と、鬱になろう🩷」「堂々と、死にたがろう🩷」「堂々と、落ち込もう🩷」「堂々と、ひねくれよう🩷」「堂々と、嫌なやつになろう🩷」と開き直った。
とにかく、自分がそうしたかった。から、した。
ネガティブなわたしにになって「そんなわたしでも愛してくれる?」なんて他人を試す行為をしているわけでは全くなく、他人に対してではなく、本当に自分がその自分を許したかったから、愛したかったから、自分で自分の存在を無条件に認めるための行動であるから、そのネガティブなわたしで嫌われたり、離れていかれたりしても、淡々と離縁を眺める気でいた。
ネガティブな自分を楽しもう!と腹を括った。
とことん暗く、とことんネガティブでいるぞー!と。
すごく楽しかった。
結局、わたしはゼンブマンだから、ポジティブ要素もある。
あるから、そんな感じでネガティブをポジティブに楽しもうとしたのだろうな。
周囲で「強い人が好き」「前向きな人が好き」「明るい人が好き」と言われようが、「うるせー!こちとら後ろ向きで暗くても弱くても、無関係に無条件に自分が好きなんじゃ!」と、これまたトゲトゲした気持ちでいた。(誰にも言われてないのに)(ネガティヴ期だから)
でも実際そうで、人生とは自分との二人三脚なのだから、〜だから好き、〜だから嫌い、なんて隣にいるパートナー(自分)に言われたら萎縮しちゃうし、自分と解散したくなっちゃうよね。
無関係に、無条件に、自分を愛したかった。
理由を愛するのではなく、自分を愛したかった。
イヤイヤ期が長引いて、今に至る。
針を失った羅針盤が息を吹き返し、指針がまたわたしを導き始めた。
この感覚が絶対なんだ。
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