優先順位
昨年、五年くらい仲良くしていた友人と離れる選択をした。意図をもって。
数泊の泊まりがけで一緒にいたということもあり、普段見えていなかった互いの素性が見えたりしたのだと思う。
わたしの要素でいえば、なんの計画をせずに行き当たりばったりで決める、とか、どんな時も、靴を脱いで体育座り。(助手席でも映画館でも)など。
おとなげないとは思いつつも、わたしは嫌だなと一度思ったら顔にも態度にも出てしまう。
大多数の固となる人間が行き交う社会を生きる上で、明らかに顔に出てしまうのは失礼である自覚があるため少しは抑えられるようにはなったのだけれど、やはり完全にとはいかないようだ。
彼女に抱いた違和感の原因は、過去に他の関わった人に指摘したり怒ったり、縁を切ったことがあったものであり、「わたしは、本当にこれ(その原因)が好きではないのだなぁ」と思った。
わたしはきっと、今この瞬間が貴重で大切、という意識が強い。
だからこそ、他人といる、または他人といても意図的に仕事をする、調べ物をする、以外では携帯電話にはいっさい触れない。意識すらしていない、無意識だ。
昨年の件の原因は、旅行中、彼女が常に元彼や友だちと連絡をとったり、電話をしたりしている姿を隣で見て違和感を抱いた、というものだった。
一緒に生活をしているのであれば、そういう誰かといながら一人でいるような、互いに空気と化す時間が増えるのは仕方ない。
けれど、元彼や友だちと話すのは今でなくてもいいのでは、と違和感を抱き、「彼女に自分の時間を共有する」のに抵抗が生まれてからの旅の途中、目を合わせたり笑みをつくるのもできなくなってしまった。
彼女そのものは好きだけれど、彼女の優先順位はきっとわたしと違う。
人間関係において重要視するべきなのは、価値観よりも優先順位なのかもしれない。
長続きするには、価値観を歩み寄るよりも優先順位の歩み寄りだ、と。
互いの優先順位が違う。
ただそれだけのことのようで、人生レベルにしたら方向性にずいぶんと差が出る。
優先順位が違うだけで、まったく別の選択をするだろうし、そして、まったく別の場所へ辿り着く。
二人で、同じ選択肢を並べる。
そして、その優先順位を並べてみることで、新たに知り、新たに見えてくるものがある気がした。
0コメント